Interview
人々は何を知り、どう生きたのか
―― 本と契約書が語る江戸時代の真実
同志社大学 文学部 文化史学科 教授
鍛治 宏介 先生
江戸時代の出版ブーム!書物で広がる知識と教養
私はこれまで江戸時代の歴史について、さまざまな研究をしてきましたが、なかでも、①書物文化と、②祇園遊所で働く女性を、二つの柱として研究を続けてきています。
①江戸時代は、大河ドラマでも描かれる蔦屋重三郎のような民間の出版社が活躍し、京都・大坂・江戸の三都を中心に大量の本が作られ、全国に流通した時代です。なかでも私は、現代の教科書にあたる「往来物」や、辞書にあたる「節用集」に注目しています。これらの書物には、本文だけでなく付録の記事が添えられることも多く、それらを読み解くことで、当時の人々にどのような知識が広まっていたのか、特に京都に住む天皇や公家、七夕の短冊、京都の通り名歌、近江八景、まじないといった知識が、書物を通じて教養や日常的な知識となっていく過程を明らかにしてきました。
②京都・祇園は、今では「舞妓はん」で知られる世界的な観光地ですが、江戸時代から既に遊所として栄え多くの人が訪れていました。そこに芸者や遊女となるためにやってきた少女たちの親が、お店と交わした「一生不通養子娘証文」と呼ばれる契約書が、現代にも数多く残されています。こうした契約書や関連史料を丁寧に読み込むことで、これほど有名な場所でありながら、最近までほとんど研究が進んでこなかった江戸時代の祇園、特にそこで働いていた女性たちの実態を明らかにしようとしています。
高校で歴史を覚え、大学では歴史を書く側に
歴史研究には、テーマありきで進める研究と、史料ありきで進める研究があります。私の場合、①書物文化の研究は大学の卒業論文で「江戸時代の人々が天皇をどう認識していたか」というテーマに取り組んだことが出発点でした。当時の書物文化のなかでも、特に一般の人々の手に広く渡っていた「往来物」に注目し、天皇や公家がどのように描かれているかを探ってきました。一方、②祇園の研究は、私が所属していた大学に所蔵されていた「祇園町文書」という史料を、友人とともに整理・調査したことがきっかけでした。その文書の内容を理解するためには、先行研究や他の史料も読み解く必要があり、調査を進めるうちに理解が深まり興味も広がっていきました。
歴史学というと、「昔のことなんて、もうわかっていることばかりなのでは?」と思うかもしれません。でも実は、まだまだ解明されていないことも多く、研究の進展によってこれまでの認識が改まることも珍しくありません。高校までは教科書に書かれた、つまり他の研究者が史料から明らかにした歴史を覚え考えることが主眼となりますが、大学では自ら史料や過去の研究を読み解き、何かの歴史を自分で明らかにする、卒業論文を書くことが最終目標となります。そのため、昔の人が書いた崩し字を読んだり、美術史料を調査したり、考古学の発掘調査を行うためのスキルを磨く講義も用意されています。ただし、「研究」を深く極めるためには、歴史の流れや代表的な出来事についての知識を持っていることが重要になります。ぜひ、高校生のうちに、しっかり歴史を学び、知識を身につけておいてください。
興奮の瞬間、史料の向こうに見えた芸者の姿
大学での歴史研究は、実際の史料や現地調査を通して新たな発見を積み重ねていく作業です。私自身も、祇園研究の一環で京都の八坂神社を訪れたとき、観光客で賑わうなか、誰も気に留めない石灯籠や鳥居に刻まれた文字を読み取ろうと、1人しゃがみ込んだり裏側に回ったり怪しい人になって調査してきました。稲荷社の片隅にある手水石の側面に、現在研究をしている江戸時代後期の祇園の芸者さんたちの名前を発見した瞬間は、周りの喧騒が消え、まるで彼女たちがお稲荷さんに祈る姿が見えるような興奮を覚え、思わず小さくガッツポーズをしました。江戸時代の祇園の芸者さんたちの信仰の様相を示す貴重な史料であり、まだ誰も明らかにしていない歴史を物語ってくれる史料をみつけたことになります。調査現場でのこうした瞬間はもちろん、ゼミ生が何週間もかけて調べて素晴らしい発表をしてくれたとき、また、講義で受講者から思いもよらない鋭いコメントをもらったときなど、「大学で研究者をやっていて良かったな」と心から思います。
鍛治先生からのメッセージ
大学での学びで一番楽しいのが卒業論文の執筆です。それまでに培った知識と研究能力を発揮し、過去の史料や先行する研究論文を大量に読み解きます。フィールドワークに出かけたり、図書館の書庫で大量の図書に埋もれたり、数百年前の先人が書いた日記や手紙を読み解いたりしていくなかで、今まで世界中の誰もが知らなかった事実を見つけられるかもしれません。そこまで辿り着いた人は、史料を読みながら、これまで調べた様々な情報が、自分の頭の中で歴史という線になる瞬間に立ち会えます。ぜひ「オラ、わくわくすっぞ!」と言いながら大学の門をくぐってください。皆さんの研究を後押しできることを楽しみにお待ちしております。










