18世紀のイギリス文学を知ることは
現代の私たちを知ること

東京大学大学院 総合文化研究科 教授
武田 将明 先生


18世紀のイギリス文学は地味?

私は18世紀のイギリス文学を研究しています。有名な作品では、『ロビンソン・クルーソー』や『ガリヴァー旅行記』がこの時代に書かれました。実はイギリス文学の研究では、18世紀はあまり人気がありません。シェイクスピアなどの劇作家が活躍した16世紀末から17世紀はじめ、ワーズワースやキーツが詩壇に新風を吹き込んだ18世紀末から19世紀はじめ、ディケンズやブロンテ姉妹などが重厚長大な小説を発表した19世紀、そしてウルフやジョイスなどが大胆な実験文学を生み出した20世紀前半と、個性に溢れる文学史のなかで、18世紀はやや地味な感じがするのかもしれません。『ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』を知らない人はあまりいないでしょうが、研究して面白い文学作品と思う人が少ないのかもしれません。
ですが、18世紀という時代は決して地味ではありません。17世紀の半ばから終わりにかけて、イギリスではピューリタン革命、共和政、王政復古、名誉革命と、決定的に重要な政治上の事件が次々に起こりました。この激動の時代への反省もあり、18世紀に入ると政治と経済が刷新され、安定した発展の時代を迎えます。政治では議院内閣制や政党政治など民主政治の仕組みが確立し、経済では17世紀末にイングランド銀行が設立され、近代的な金融制度が生み出されていきます。一言でいうと、18世紀になってイギリス人は――というより人類は――近代と呼べる時代に入ったわけで、その18世紀の文学・文化を知ることは、現代の私たちを知るのにも大変役に立ちます。

誰もが心に抱いている
「ロビンソン的なもの」とは?

どう役に立つかを簡潔に書くと、例えば『ロビンソン・クルーソー』であれば、あれは無人島で工夫をして生き延びる物語で、その後もさまざまな翻案が出ています。しかしどうして、ほとんど一人しか登場人物のいない物語が面白くなるのでしょうか。それはロビンソンという人物が近代人の普遍的な原型をなしているためです。洋の東西を問わず、また老若男女その他の属性を問わず、誰もがロビンソン的なものを心に抱いている。つまり誰にも頼らずに、自分自身で自分の生き方を切り開いて行きたいと望んでいる。こうまとめると立派な心がけに思えますが、自立した人は、時に他人への思いやりを欠くことがあるかもしれない。じゃあ、「ロビンソン的なもの」にはよくない点もあるのだろうか。そう考えて、改めて『ロビンソン・クルーソー』を読むと、ロビンソン本人も自分のなかの「ロビンソン的なもの」とどう向き合うべきか、悩みながら生きていることに気づかされます。興味があれば、実際に本を読んでみてください。あれこれ思い悩むロビンソンの姿を見て、皆さんは共感を抱くでしょう。
ちなみに、『ガリヴァー旅行記』を書いたスウィフトは『ロビンソン・クルーソー』を書いたデフォーのことを嫌っていたのですが、『ガリヴァー旅行記』には「ロビンソン的なもの」への批判も見られるように、私は感じます。しかし、『ガリヴァー旅行記』を読むと『ロビンソン・クルーソー』がつまらなくなるかと言うと、むしろ逆です。批判によって豊かになるというのは、優れた文学作品に共通して見られる性質で、対立を煽りがちなSNS時代にはあまり見られなくなった人間的美徳かもしれません。

学生時代の直感が研究の始まり

私は文学と思想を勉強しようと思って大学に入りましたが、流行を追いかけるばかりで自分が何をしたらよいか定まらずにいました。そんなとき、『ガリヴァー旅行記』を読んで「これだ」と思いました。なぜそう思ったのか。さきほど、「『ガリヴァー旅行記』には「ロビンソン的なもの」への批判も見られる」と言いましたが、大学生のころの私は良くも悪くも自立心が旺盛で、自分の考えが正しいと思ったら、相手が友人でも家族でも絶対に譲らない性格でした。もちろん、自分の考えをもつことも大事なのですが、冷静に考えると自分で考えているつもりで実は偏見に囚われていたり、単に流行を追っているだけだったりもします。『ガリヴァー旅行記』を読むと、人間の様々な愚かさが徹底的に笑いの対象になっていて、まるで自分が笑われているように思ったのと同時に、ちょっと気持ちが楽にもなりました。ひとつの「正解」にこだわる自分自身の滑稽さが分かると、それまでの自分がずいぶん窮屈な世界に生きていたんだな、と実感したのです。その後も私は『ガリヴァー旅行記』を毎年のように読み返しています。『ガリヴァー旅行記』好きがこうじて、ついには『「ガリヴァー旅行記」徹底注釈』(岩波書店、2013)という本を出し、(共著ではありますが)作品本文の倍を優に越える量の注釈をつけましたが、まだまだ『ガリヴァー旅行記』からは学べることがあります。大学時代の直感は、間違っていなかったのですね。

結果だけでなく過程も楽しめるのが
研究の面白さとやりがい

私にとっては、まず、18世紀イギリスの文章を読むこと自体が面白いです。自分とは時代も国も違う人たちの暮らしや、彼らの考えていたことを知るのは、大変に興味深いし、参考になります。彼らの声をすくい取り、現代の人々に伝えるために、いろいろと発表の仕方や論文の書き方を工夫しているときも、常にいい思いつきが出てくるとは限りませんが、あれこれ考えるだけで楽しいです。研究を仕事にすることの利点は、結果(成果)だけではなく、過程も楽しめることにあるかもしれません。これは文学研究以外にも言えることではないかと思います。

武田先生からのメッセージ

ここまで述べたことと絡めて言うと、受験勉強では一般に結果が求められます。ですが、例えば研究について結果(成果)を得ることを至上命題にしてしまうと、研究者のモチヴェーションが低下し、得られるはずの結果も得られない、ということがままあります。勉強の効率を上げることも大事ですが、同時に勉強のプロセスを楽しむ工夫もするとよいでしょう。そして工夫すること自体も楽しめるようになれば、モチヴェーションも成績も上がっていくかもしれません。

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