理学生物学
どんな学問?
21世紀をリードするテクノロジー
「21世紀は生物学の時代である」とはアメリカ合衆国の元大統領、ビル・クリントンの発言です。これは、「20世紀は物理学が技術革新の原動力となっていたが、これからは生物学が生み出す技術が社会を変えていく」という意味です。すでに私たちの身の回りには、遺伝子組換えによって作られた食品が多数存在しています。世界的に見ると、遺伝子組換え作物の作付面積は、栽培をスタートした1996年からの20年間で約100倍に拡大しています。また、生物の力を借りて化学物質を合成する「生物工場」の研究も進められています。
ここでは、基礎理論となる「生物学」とその応用となる「生物工学」に分けて学問の概要を見ていきます
1.生物学/生命科学
現在、地球上の生物種の数は200万〜1億種と考えられています。生物学では、人間はもちろん、動物・植物・微生物・細菌など自然界に生きる多様な生物の生命現象を研究対象とします。研究分野は、生物の系統によって大きく「動物学」「植物学」「微生物学」に分類されます。他にも代表的なものとして、生物の進化をたどる「進化生物学」、生物と環境との関連性を考える「生態学」、生物の内部器官や細胞の特徴を扱う「形態学」、遺伝子を扱う「分子生物学」「遺伝学」などが挙げられます。
現在、地球上で多くの生物が絶滅しており、2050年までに全生物種の25〜50%が絶滅するという報告もあります。このような生物の大量絶滅は、地球温暖化をはじめとする環境の劣悪化が主な原因と考えられています。急激な大量絶滅は生態系に重大な影響を及ぼし、私たちの生活を脅かしかねません。絶滅危惧種の保全や環境問題への取り組みは、21世紀の生物学にとって大きな課題の1つとなるでしょう。
2.生物工学
生物工学(バイオテクノロジー)とは、生物学の研究で得た理論をもとに、実社会に役立つ技術を生み出すことを目的とした学問です。その点では、工学に近い学問とも言えるでしょう。その研究成果は、醸造や発酵、生物の品種改良など私たちの食生活に関連する分野、さらには再生医療や創薬などの医学分野にも応用されています。
最近特に注目されているのは、「遺伝子」です。虫のつかない作物や、植物の遺伝子を組み込んだ動物など、様々な研究が進んでいます。遺伝子研究の最先端は、「再生医学工学」分野です。ES細胞やiPS細胞を利用して失われた機能を再生させる研究も進んでおり、今後ますます注目を集めるでしょう。
Q&Aこんな疑問に答えます
Q.
遺伝子工学には化学や物理学の知識も必要って本当ですか?
A.
必要です。生物工学、特に「遺伝子工学」は理工系学問の応用的な分野です。実験を行ううえで、測定のための化学的な知識、光や磁気に関わる物理的な知識は欠かせません。高校で習う化学・物理学の知識は、生物学の研究を深めるうえで大変重要なものとなります。しっかり学習しておきましょう。
Q.
どのような人が生物学に向いていますか?
A.
生物学の研究対象は、地球に生息する生物や生命すべてです。そのため、私たち人間を含めた生物や生命のメカニズムを紐解いてみたい人、動物や植物など特定の種に興味がある人に向いています。また研究分野にもよりますが、自然の中に足を運び、生物の生態や機能を調査することもあります。そのため、「自然が好き」「自然環境のために役立ちたい」という人にもお勧めです。
外来種問題
その地域に従来から生息していた種を「在来種」と呼ぶのに対し、他地域から持ち込まれた種を「外来種」と呼びます。人為的に持ち込まれたものだけではなく、偶然生息するようになった種も外来種と呼ばれています。稲が縄文時代後期以降に中国から持ち込まれた種というのは、歴史の授業で学んだ人も多いのではないでしょうか。
昨今のブラックバス問題などに見られるように、外来種が在来種を圧迫し、生態系のバランスを乱したり、第一次産業(農業・水産業など)へ大きな被害を与えているという報道が頻繁にされるようになりました。
生物工場(biofactory)
医薬品原料や酵素など人間にとって有用な化学物質を、動植物や微生物を利用して効率的に生産する試みのこと。例えば、クローン羊「ドリー」を作り出したスコットランドのロスリン研究所では、遺伝子操作によって抗癌(がん)剤に使われるタンパク質を含んだ卵を産むニワトリも作り出されました。
バイオエンジニアリング
化学合成を微生物に行わせる技術を指します。言葉の響きは新しいですが、人類は古くからこの技術を利用していて、代表的なものはヨーグルトや納豆などを作る際に用いられる「発酵」です。発酵の原理を活かし、ダイオキシンなど自然の状態では分解されないものを、微生物の力を利用して分解させる研究が進められています。
こんな研究もあるよ
夢の万能細胞——「ES細胞/iPS細胞」
「幹細胞」は分裂して増殖する過程で、皮膚や臓器など特定の機能を持つようになります。 「ES細胞」は受精卵(胚)から作られた幹細胞で、いくらでも増殖して様々な組織に分化できます。一方、皮膚などの体細胞から作られ、ES細胞と同様の万能性を持つ細胞が「iPS細胞」です。2006年に京都大学の山中伸弥教授が作製に成功、2012年にノーベル賞を受賞しました。iPS細胞は受精卵を必要としないため倫理的問題を回避でき、自身の体細胞から作られたiPS細胞を用いれば拒絶反応も回避できます。 iPS細胞由来の組織を用いた世界初の臨床手術も2014年に日本で行われ、成功しました。現在では、神経細胞の異常に起因するパーキンソン病やALSといった難病患者への移植治療、移植用の肝臓の作製、患者の細胞から作製したiPS細胞で病変を再現して新薬の研究開発など、幅広い分野でその実用化に向けた研究が進められています。
卒業後の主な進路
大学院修了後、専門性を活かした研究・開発職が多数
他の理工学部系同様、大学院に進学し、より専門的な研究を行ったうえで就職をする学生が大半です。生物学・生物工学系の学部・学科は、理工学系のなかでも特に大学院進学率が高いと言われています。これは、社会が生物学・生物工学分野の専門家を求めていることの表れとも考えられるでしょう。
主な進路としては、食品関連や製薬メーカー、化学工業、製造業などの一般企業の研究・開発職が挙げられます。また、大学や理化学研究所などの研究機関でさらに高度な研究を続け、生物学・生物工学の発展に従事する人もいます。
ひとことコラム
運命を決定づけるのは「遺伝子」?「環境」?
「遺伝子」が生物の形や性質を決定するというのは現代の常識となり、大学でも盛んに研究されています。一方で、もう1つの条件とされるのが「生後環境」です。生まれたあと口にする食べ物や身につける事柄によっても、形や性質、能力が変わるとされています。
有名なのが「ミツバチ」の例です。ミツバチは孵(ふ)化する前はメスとオスのみが存在しますが、メスは生後4日目に女王蜂になるか働き蜂になるかを決められます。そして女王蜂になるものには「ローヤルゼリー」が、働き蜂になるものには花粉と蜂蜜を合わせた食べ物が与えられます。その結果、女王蜂は働き蜂に比べて、大きさは2倍に、寿命は30倍に。女王蜂のみが毎日1000~3000個の卵を産むようになるのです。このことから、ローヤルゼリーの成分や、女王蜂と働き蜂の脳の構造や寿命の違いなどが研究されています。
女王蜂が口にするローヤルゼリーのように、日々の小さな積み重ねが運命を変えるほどの大きな変化をもたらすとは、興味深いですね。
Interview
タンパク質の一生
京都産業大学
生命科学部
遠藤 斗志也先生
タンパク質の社会
生き物が「生きている」という現象の主役は、タンパク質です。このタンパク質はアミノ酸がつながった高分子、つまり「物質」です。DNAという設計図によって作られたタンパク質は、十数万もの種類があり、それらが協力し合って細胞内で働いています。タンパク質については、次々にいろいろなことが解明されてきています。例えば、①タンパク質が生まれてから働けるようになるために、分子シャペロンという教育係のような別のタンパク質がいること、②それぞれのタンパク質は、核やミトコンドリアなど、どの場所で働くかが決まっていて、働くべき場所に正しく配送されること、③タンパク質のどこかがおかしくなったら、一度ばらばらにしてアミノ酸から組み立て直すしくみや、どこかを犠牲にしても細胞全体としては生き残れるようにするしくみがあること、などです。そしてその答えだけを見れば、どうやって解明したんだろうというようなものも、実はいろいろな方法を組み合わせて研究されているのです。様々な顕微鏡やX線を使用したり,NMRやクライオ電顕という手法を使ったり、遺伝子操作したり、ミトコンドリアを取り出して段階ごとに反応を止めてみたり……そうして得られた結果を全部組み合わせると1つのストーリーができます。細胞から取り出した個々のタンパク質ではなく、細胞の中にいるたくさんのタンパク質の様子について見たとき、タンパク質の働き方は私たちの人間社会によく似ていると思うんですよね。
生命の進化の素晴らしさ
現在、科学技術は発展していますが、ウイルス感染やサーバのダウン、大規模停電などが起こることがあり、システムとしてはまだ未熟なところもあります。複雑になればなるほどそれをうまく保つのは難しいんですよね。ところが細胞は、私たち社会の危機管理システムよりもずっとうまくできていて、壊れたところは捨てて他は生き残れるようになっていたり、ピンチになったら自分で解決できるようになっていたりするのです。そういった細胞のシステムは最初から完成していたわけではなく、生命が何十億年もの進化の間にいろいろなピンチを乗り越え、そのなかで、うまくいくものだけが生き残った結果たどり着いたもの、つまり、特別に素晴らしい十数万種類のタンパク質のコレクションが今日の生命を支えているということなのです。このように生きていない物質からどうやって生きている状態ができるのか、そのギャップがどう埋まるのか、そこから「生きている」ということが何を意味するのか、分子レベルで解明していきたいと思っています。「生きている」ことを支えるタンパク質って本当に素晴らしいし、本当に面白いなって思うんですよね。
遠藤先生からのメッセージ
とにかく楽しめることが大切。何かを不思議だと思ったら、なぜだろうと考えること、それを実際に自分で調べていくこと、その答えを探すのを楽しいと思うこと。例え失敗したとしても、それは次の仮説や戦略に繋がります。そしてだんだんと答えに近づいていくのは非常に面白いことです。今すぐ何かの役に立つものも大事だけれど、疑問を追求すること、それを楽しめることが大事なのだと思います。
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