歴史に埋もれた「名もなき人々」の声を聴く
―― 古文書から探る、江戸時代の町村の暮らし

神奈川大学 国際日本学部 歴史民俗学科 教授
関口 博巨 先生


大河ドラマの主人公と同時代を生きた、無名の3人。

私の主な研究テーマは「日本近世史」です。中でも私が注目しているのは、江戸時代の村や町で暮らした「名もなき人々」です。どんな身分の人が、どんな人間関係をつくり、どんな暮らしをしていたのか。地域に伝わるもんじょを読み解きながら、その姿を探っています。すると、無名ながらも非常に個性的な人々の暮らしぶりが見えてきます。ここでは、大河ドラマでも有名な蔦屋重三郎と同じ18世紀後半に生きた、3人の人物を紹介しましょう。
まず、瀬戸内海に浮かぶふたがみ島で庄屋を務めた「新四郎」です。松山藩が村から無人島を取り上げようとしたとき、彼は命がけで抵抗しました。家に伝わる古文書を調べて藩に抵抗する根拠を探し、島の権利を守ろうとしたのです。これを機に、島や家の歴史に関心を抱いた新四郎は、自ら「二神たねあきら」という武士のような名前を名乗るようになりました。
同じ頃、甲斐国かいのくに(現在の山梨県)に、猿まわしを職業とするさるひきの「仙蔵」がいました。猿引は「卑しい身分」と見下されることが多かったのですが、仙蔵は猿まわしをせず、医者や商人として生きていました。幕府の取り締まりによる身分差別にも抗い、近隣の百姓に「非礼」と受け取られる行動を繰り返します。そして百姓たちから激しい弾圧を受け、最終的には姿を消しました。
伊豆の伊東温泉には、「竹内長門」という身分の低い陰陽師おんみょうじがふらりと現れました。幕府が「陰陽師はつちかど家(公家、安倍晴明の末裔)の支配下にする」と定めたお触れを出すと、それを逆手に取り、自分こそ土御門家の役人だと偽りました。若者に陰陽師の仮免許を発行し、お金を巻き上げていたのです。

文化財である古文書を守り、後世へ伝える。

新四郎・仙蔵・長門は、住んでいた地域も職業も異なりますが、いずれも身分という重い制約の中で、自分を縛る何者かと必死に闘った人々です。そんな「名もなき人々」の生きざま、あるいは苦悩や喜びなどの感情を、地域に伝わる古文書が教えてくれます。だからこそ、私たち近世史研究者は、各地の古文書を整理して目録を作るなどの基礎作業も行っているのです。時には、虫食いや水損でボロボロになった古文書の修復を手掛けることもあります。古文書修復は地道で職人的な作業で、労力も神経も使いますが、研究業績にはカウントされません。それでも、貴重な文化財である古文書を守り、後世に伝えていくためには必要不可欠な作業なのです。神奈川大学では、こうした技術や精神を学生にも伝えています。古文書の整理だけでなく、傷んだ古文書の修復法まで学べる大学は、全国的にも珍しいと思います。

歴史をつくるのは支配者や英雄だけではない。

私がこうした研究に取り組み、先に紹介した3人のような人物と出会えたのも、さまざまな共同研究や歴史編纂事業に参加する幸運に恵まれたおかげです。また、私の地元には被差別部落があり、いわゆる「同和教育」が行われていました。いじめられた経験もあった私は、「なぜ同じ人間が差別されるのか」という悲しみや憤り、疑問を強く感じていました。研究を志すようになってからも、そうした観点で古文書を探し、読み解いていたと思います。今の研究に興味をもったきっかけを問われれば、子供時代に抱いたそんな思いにさかのぼるのかもしれません。
歴史をつくるのは支配者や英雄だけではありません。無名の人々の無数の小さな足跡が、歴史に奥行きや躍動感を与え、大きな歴史や全体史を書き換える原動力になるのです。教科書を読むだけでは、歴史が人間の営みの積み重ねであるという実感がわきにくいですが、古文書の中には人々の生きた痕跡が確かに残っています。私は、古文書調査を通して、埋もれている近世の人々の声を拾い上げ、その声を聴くことを仕事にしています。誰も見たことのない古文書に出会い、現代人を驚かせるような「声」を発見する研究は、とても楽しいものです。

関口先生からのメッセージ

受験勉強は大変でしょう。砂を噛むような思いをしている人もいるのではないでしょうか。でもその経験は、将来必ずあなたの人生の糧になります。大学に入学すれば、高校までとは違う学問の世界が待っています。皆さんは今、質問に答えるための勉強をしていると思います。しかし、大学の授業では答えがない問いに挑む機会が増えるでしょう。自分で問いを立て、それに答える力も必要になります。
大学生になったら、たくさんの友だちや先生たちとふれあい、いろいろな経験をしてください。受験を含めたさまざまな経験の積み重ねが、自ら問いを立て自ら答える力、人生を生き抜く力を育んでくれることでしょう。それは間違いのないことですので、今は全力で受験勉強をやりぬいてください。

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